上顎側切歯の形態とその意義
歯列を上下左右に4分割してみると、上顎側切歯は永久歯8本中、前から2番目の歯になります。大きさは中切歯よりも一回りか二回り小さく、形は中切歯よりやゝ遠心が退化した形をしています。一般に歯の退化というのは歯のサイズが小さくなること、形が丸みを帯びてくること、機能的に衰えてくることを指します。上顎側切歯と同じ位置にある下顎の歯の下顎側切歯は中切歯よりも大きくなっています。もちろん、大きさや形態が上顎側切歯とよく似ています。不思議ですよね、上顎と下顎は同じ歯でもかなり違いがあるということです。機能面でも上顎は退化傾向が強くあらわれる歯ですが、下顎は退化傾向がほとんどありません。
先ず歯のサイズについて考えてみましょう。歯は遺伝的に安定し、大きさや形が安定しているといわれています。例えば、身長で比較してみると現代人の方が明治時代の人よりも身長はかなり高くなっています。これはいろいろな環境(食生活、生活様式、婚姻関係など)が変化してきた結果と考えられています。なぜならば明治時代から現代に至る間、日本は遺伝を変えるような他民族の侵略に見舞われることがなかったからで、遺伝の影響を考えなくてもよいからです。歯について見ると、明治時代の人と現代人の間には身長ほどの大きな差はほとんどありません。このように身体の特徴には可塑性(変化しやすい形質)と遺伝性(変わりにくい形質)があります。歯は身体の中でも遺伝性が強いという特質をもっています。
遺伝性が強い歯の中でも第3大臼歯と上顎側切歯はとくに可塑性が強い歯です。大きさのバラツキを変動係数という数値で比較していますが、この値は上顎側切歯や第3大臼歯は10%以上を示しバラツキが強い歯であるのに対し、第1大臼歯などは3%前後と安定した歯をしています。第1大臼歯と上顎側切歯は存在する位置や大きさ・形が違っていますが、変動係数(標準偏差/平均値×100)は標準偏差を平均値で除して算出するため、大きさに関係なく2集団のバラツキの程度が分かることになります。
なぜこの両歯は他の歯に較べて大きさや形にバラツキが多く生じるのでしょうか。上顎側切歯と上顎第3大臼歯を例にとると、上顎側切歯は切歯骨(切歯が植立している骨:成人では上顎骨に癒合している)の最も遠心に発生し、第3大臼歯は上顎骨の最も遠心に形成される歯です。末端退化説という考えによると、歯列弓の末端に位置する歯は退化しやすいと言われています。上顎側切歯は切歯骨の、上顎第3大臼歯は上顎骨の末端に発生するために退化しやすい歯という考えです。すなわち、同じ骨に発生する歯では発生が遅いほど、また歯列弓の末端に位置する歯ほどその大きさや形態は退化の影響を受けやすく、変化が起きやすくなるということです。
歯が退化するということは、歯のサイズが小さくなる方向へ変化することです。しかしサイズが小さくなっても歯の形は相似的に小さくなるのではありません。退化した上顎側切歯の形は円錐形、栓状形、円筒形などに変化してきます。小さくなって形態も丸みを帯びた歯を矮小歯と呼び、隣接する中切歯と較べてみても二回りから三回り小型の歯に退化していきます。
退化が極端に現れると歯は欠如するといわれています。上顎側切歯は退化形が他の歯よりも現れやすい歯です。しかし歯の欠如に関しては第3大臼歯よりも欠如する頻度はかなり低くなっています。欠如率は上顎側切歯が約2%、第3大臼歯は約30%です。どうして退化傾向が強くあらわれるのに歯の欠如が少ないかはまだ分かっていません。歯の欠如については第3大臼歯が最も欠如率が高い歯で、それに次いで下顎第2小臼歯が続きます。上顎側切歯はそれ以下の頻度です。この傾向は他のどの集団も同じのようです。
この歯のもう1つの特徴はこの歯に特有に現れてくる形質(遺伝的な特徴)です。退化傾向を示す形質(矮小歯:円錐歯、円筒歯、栓状歯など)がこの歯に良く出現することはもちろんですが、その他にも変わった形質が現れてきます。その1つが盲孔です。盲孔はこの歯を舌側面からみた時に舌側面窩と基底結節の境界が深く窪んで、その尖鋭部が基底結節の前方に潜り込むようになったものです。側切歯は中切歯よりもこの程度が強くあらわれてきます。臨床的な面からみると、むし歯になりやすい部位です。
その他に斜切痕という形質がみられます。この特徴も舌側面にあらわれます。辺縁隆線と基底結節が合わさった境のところにあらわれる切痕をこう呼んでいます。この形質は側切歯では遠心によく出現します。 まれに歯内歯という特徴も見られます。歯の発生過程でエナメル器が歯乳頭に陥入して形成されたもので、上顎側切歯が好発部位になります。 これらの形質はよく国家試験に出題されます。これから歯科医師や歯科衛生士になる皆さん、覚えておいてください。
追補)八重歯か半八重歯か
最近、私が感じていることを紹介したいと思います。普通、八重歯の多くは上顎犬歯がその遠心に生えてくる第1小臼歯よりも遅れて萌出し、しかも犬歯の萌出場所が小さいために唇側へ大きく飛び出して生えてくる状態をいいます。側切歯の舌側転位は問題にされていません(下図)。
半八重歯(著者が記載)は側切歯が舌側へ転位し、しかも犬歯が唇側へ半分ほど転位する状態をいいます。上顎側切歯が舌側に転移して萌出し、犬歯が唇側へ半歯ほど移動している状態です(下図)。半八重歯は側切歯が舌側へ転位した分、一般に言われる八重歯とはその唇側への張り出し具合が弱くなったものです。萌出順序は本来の八重歯も半八重歯も犬歯の萌出する順は第1大臼歯よりも遅く生えてくることで同じです。そこで考えられることは上顎側切歯の歯胚の位置が通常よりも舌側に生えてくること、その歯胚が犬歯歯胚の舌側に配置していることです。なぜそうなるかは今のところ分かっていません。