―歯科人類学のススメ―

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犬歯形態からみた人類の進化

 人類の起源についてはこれまでおもに骨や歯から調べられてきました。骨や歯は数百万年という長い期間、化学的に安定した鉱物の化石として土中に残り、それが今の研究者の目に留まるからです。とくに人類学で興味があることは、発見された骨の化石が人類の化石かどうかという点です。この化石がヒトの祖先の化石であるかどうかは、この化石が人類の特徴を備えているかどうかということです。人類のものだと判断する “きめ手”があります。その特徴は二本の足で立って歩く、すなわち直立して二足歩行ができることです。この特徴があることが人類を他の類人猿(チンパンジーなど)と区別する重要な証拠であると言われているからです。立って歩くといわれているアフリカに生息するボノボ(ピグミーチンパンジー)でもずっと長い時間歩くことはできません。今のところ、この特徴を備えている化石人骨はアフリカのチャドで発見された猿人・サヘラントロプスと呼ばれるおよそ700万年前に化石です。この頃から人類は二足歩行をしていたと考えられています。
 もう一つの特徴は犬歯です。この歯が進化の過程でしだいに小さくなってきたこと、それがいつごろから小さくなり始めたかということです。確かにゴリラやチンパンジーのようなヒトに近い類人猿の口元をみると、大きく外へ張り出した犬歯をもっていることが分かります。反対に我われは他の歯とほぼ同じ大きさの犬歯を口の中にもっています。このように大きさの違いは類人猿とヒトの間に歴然と横たわっています。研究者はいつごろ歯が小さくなってきたのか、これを確認できれば犬歯からみたヒトへの進化がいつごろ始まってきたのか分かる筈であると考えています。
 ここでは犬歯のもう一つの特徴を見てみたいと思います。それは犬歯の形態、すなわち形です。犬歯の大きさについては個体間のばらつきが多く、統計的に安定した個体数を集めなければなりません。化石などの貴重な標本を数多く集めることは至難の業になります。それに対し、形(外形:プロポーション)は種が同じであればそれほど違うことはありません。日本人でもアメリカ人でも歯の形・プロポーションはほとんど同じで変化ありませんが、チンパンジーやゴリラの犬歯とヒトの犬歯を比べてみると違いは明白です。
 昨年、私はヒトの乳犬歯について調査をし、これをほかの化石人骨と比較してみました (Anthropological Science, 2016)。ヒトの歯には乳歯と永久歯が存在し、乳切歯と乳犬歯からなる乳前歯は切歯と犬歯からなる永久前歯と互いによく似た形態をしています。上顎の乳犬歯について歯冠の咬合面からみた幅厚指数(唇舌径/近遠心径×100:歯のプロポーションをみる値)を調べてみました。この値が100に近ければに円形に、また100以下ならば近遠心的に長い形に、100以上であれば唇舌的に長い形になります。すなわち、バレーボールに近いか、ラグビーボールに近い形をしているのかという問題で、ラグビーボールの形であればどちらの方向に長くなっているかということです。この形の変化をヒトの乳歯、永久歯、化石の乳歯、永久歯で較べてみました。ヒトの乳歯と永久歯でこの形が違うことはすでに埴原和郎氏が指摘して、目新しいものではありませんが、この特徴を最近の化石人骨の報告と比べてみると面白いことが分かりました。
 一般に、犬歯を咬合面からみると、類人猿(チンパンジーやゴリラ)の上顎乳犬歯は近遠心的に長くなったラグビーボールの形を示し、永久犬歯も同様に近遠心的に長くなった形をしています。咬合面からみた歯の形は乳歯も永久歯も変わりがないということです。我われのようなヒトの乳犬歯についても同様なことがいえ、近遠心的に長くなった形をしています。しかし永久犬歯では唇舌的に長い形をしていました。どうしてヒトだけが乳歯と永久歯に違いが生じたのでしょうか。
 このような変化が人類進化のどの過程で起きたのか、過去の人類化石の犬歯を渉猟してみました。まず、今まで報告されている論文を蒐集してみると、540万年前のArdipithecus kadabbaについて書かれた本の中に永久犬歯の咬合面からみた図が載っていました。この化石は骨の化石の研究から二足歩行が確認され、人類の祖先と考えられている標本です。この写真をみると、犬歯の歯頸部あたりがかけていて、完全な犬歯形態は観察できませんでしたが、それでもこの歯の外形が予測可能な状態で残っていました。この歯の外形は明らかに近遠心的に長くなった長円形をしていました。しかしその程度はチンパンジーほど近遠心的に長くなっていません。ラグビーボールとバレーボールの中間のような形です。唇舌的に長くなった形の犬歯がヒト的になった証拠と考えれば、まだこの化石は類人猿的だと考えられます。さらに調べてみると、320万年前のAustralopithecus afarensisのころにどうもこの割合が100前後の値をしており、犬歯の外形に移行期があると考えられます。直立二足歩行と犬歯の縮小が、どちらが早い時期に生じてきたか長い間、人類学者の中で謎でしたが、このことからみる限り、犬歯よりも直立二足歩行が方がヒト化により早く起こったと考えてられます。犬歯形態だけでもかなり重要な情報を我々に提供してくれます。