―歯科人類学のススメ―

TEL:(052) 794-1172

オセアニアの人たち-2

第3大臼歯の萌出時期

 第3大臼歯の萌出時期は世界的にかなり差があり,たとえばアフリカの住民やニューギニア高地人、ポリネシア人などは日本人やヨーロッパ人よりも2年から3年ほど早く生えてきます。クック諸島でも第3大臼歯は日本人よりも3年以上早く生えています。クック諸島で現地の高校生を対象に第3大臼歯の萌出状況を調べてみるとほぼ全員の口の中にすでに第3大臼歯が生えていました。日本の高校生では口の中に第3大臼歯はまだ20%ほどしか生えていません。日本人よりも明らかに彼らの体の成長が早いことに驚きました。
 ポリネシア人の身体的特徴について京都大学の片山教授は「過成長仮説」で説明しています。ポリネシア人の祖先がオセアニアに進出する過程で,成長パターンに変化が起きてきたと予想しています。限られた人口規模の人々が処女地に進出し,そこに定着する時は食糧よりも短期間に急速に人口を増やすことが大切になり,「産めよ増やせよ」という適応戦略が取られ、そのために女性は思春期ができるだけ早くおとずれてきたといいます。肉体的に早熟となる方が都合の良いことになるからです。また,太った体形になる方が脂肪を蓄積して妊娠しやすくなるためです。それに見合って男性も早熟になっていきます。実際にクック諸島民は若齢で出産する女性は少なくないし,毎年続けて子どもを産む女性もかなりいます。歯の萌出時期は体の成長過程を良くあらわしているようです。



クック諸島の子どもと青年

むし歯と歯周炎

 島民のほとんどはすばらしい歯並びをし、日本人にみられるような出っ歯や乱杭歯,八重歯や反対咬合は一人もいません。むし歯の人も当時はあまり多くはありませんでした。むし歯による影響がどのくらいかをみる指標としてDMFT歯数があり、住民の歯科保健状態をこの値で調べてみました。この値は一人あたりのD(decayed:未処置のむし歯数),M(missing:むし歯が原因で抜けた歯数),F(filled:むし歯で処置した歯数)の歯数を合わせたものです。調査した年は1988年です。14歳から17歳までの男性ではDMFT歯数は2.70本〜6.58本,女性では3.27本〜8.37本でした。1987年の日本人の14歳時のDMFT歯数は7.6本ですから,日本人よりも1/2〜1/3ほどむし歯は低い割合でした。2005年の日本人の14歳時のDMFT歯数は3.3本で,ようやく日本の生徒も当時のクック諸島の生徒の口腔衛生状態と同じ状態になっています。クック諸島では14歳ころまでは家庭の食事事情も昔ながらの形態を色濃く残し,まだ西洋の食事が家庭内に入り込んでいないためと思われますが,年齢が増すにつれ急速にむし歯の影響はひどくなっているようです。現在ではもっとむし歯が悪化していると思います。
 それに対し,歯周病に罹患して歯肉が肥厚している人はかなり多くいました。とくに男性では高校生になると嗜好品として檳榔子(ビンロウジ:鬢榔の実)を噛む習慣が広まっていました。学校が休みの時は男の若者(高校生)たちが村の寄り合い場に集まって檳榔子を噛みながら楽しく話し合っているのを見かけたことがあります。狭い島なので遊び場もなく若者たちが1ヶ所に集まって談笑するのも致し方ありません。
 嗜好品として愛用されているものは檳榔子を細く切ったもの、あるいはすり潰したものを少量の石灰と一緒に噛むもので,噛んでいるとアルカロイドを含む種子の成分と石灰や唾液が混ざって鮮やかな赤や黄色い汁が口中に溜まり、しばらくすると軽い興奮・酩酊感が得られるようです。最後にガムのように噛み残した繊維質を吐き出します。このことは口腔衛生上きわめて悪い影響を歯や歯肉におよぼします。口の中にたまった石灰分は歯石となって歯に沈着し,歯周病の悪化する原因になります。高校生の口腔内はまだそれほどひどい状態ではありませんでしたが,島の年配の人や長老の人では口の中に歯がなくなっている人を多く見かけました。
 鬢榔は太平洋・アジアおよび東アフリカの一部で見られるヤシ科の植物です。南太平洋の島嶼部では嗜好品として鬢榔子を咀嚼する習慣があり,彼らの口の中を見るとかなりの量の歯石が歯に付着しています。そのため酷い歯周病になり,歯を喪失する事態を招いていています。極端な場合は歯石が歯冠を覆い隠してしまうほど付着している歯もあります。
 下の写真は私がニュージーランドのオタゴ大学に保管されている埋葬人骨を調査した際に発見したもので、ポリネシア人の頭蓋骨と一緒に出土した歯です。始めは遺跡人骨と一緒に埋葬された副産物かと思っていましたが、どこか様子が違っているため、詳細に観察してみると中から歯らしき物が顔を出してきました。驚いてもう少しじっくりみると歯根が目に入ってきました。おそらく死亡する直前までこの人の口腔内に歯はあったものと思われます。歯冠と歯根はすべて歯石が付着し、歯は全体がすっぽりと歯石に包まれていました。このような状態の歯をみるのは始めてで、この地域の昔の人は如何に歯石が付着しやすいような食生活をしていたか驚きました。


先史時代のポリネシア人の歯.歯冠と歯根はすべて歯石が付着し、歯は全体がすっぽりと歯石に覆われていた(オタゴ大学所蔵)