―歯科人類学のススメ―

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真猿類(ニホンザル)の犬歯

 真猿類を代表してニホンザルの上顎犬歯について話したいと思います。大きさはオスで大きく,メスで小さくなっています。形はオスもメスも単錘形ですが,詳しくみると形にも雌雄に違いがあります。

 オスの上顎犬歯を頬側面からみると,歯冠の概形はやゝ遠心へ湾曲した二等辺三角形あるいはサーベル状の形をしています。犬歯は他の歯よりも明らかに大きく,咬合面よりかなり突き出しているのが分かると思います。舌側面では近心切縁溝(ヒトでは無い)が尖頭から歯頚基底部まで深い溝を形成し,完全に武器としての役目を担っています。同時に相手に対する威嚇行動や示威行動の働きをしています。余談になりますが,肉食獣で良く見かける犬歯と霊長類の犬歯とは形態に違いがあります。サルの仲間では近心切縁溝がよく発達していますが,ライオンやヒョウなどでは近心切縁溝はありません。この溝がどのような働きをしているかはまだ分かっていません。この溝は歯頚隆線を乗り越えて歯根まで延長し深い溝を形成しています。近心切縁溝の遠心には太くて丸く膨隆した近心舌側隆線が走行しています。歯根では舌側結節の延長として太くて膨隆した隆線が根尖まで縦走し,この隆線の近心と遠心に深い溝が流れています。歯頚隆線は頬側よりも舌側の方が発達しています。

(京都大学霊長類研究所の御厚意による)
(京都大学霊長類研究所の御厚意による)

 メスの上顎犬歯を頬側面からみると,歯冠の概形は不正四辺形をしています。歯冠はオスほど高くはなく,周囲の歯に較べて咬合面への張り出しはあまり強くありません。近心shoulder(化石人骨やサルではこの用語が良く使われています:ヒトの近心隅角のこと)の部分で歯冠の近心縁が角度をもって交叉しています。舌側面では近心切縁の遠心は近心切縁溝により線状に窪んでいます。近心舌側隆線の遠心は広く窪んでいます。歯根では舌側結節の延長として太くて膨隆した隆線が根尖まで縦に走り,この隆線の近心と遠心には溝が流れています。歯頚隆線は舌側の方が頬側よりも発達しています。

(京都大学霊長類研究所の御厚意による)
(京都大学霊長類研究所の御厚意による)

 おそらく,歯冠高がオスよりもメスで低いことがオスとメスの歯冠概形の違いになっていると思います。

 それではなぜオスの犬歯だけが歯冠高が大きくなっているのでしょうか?

 ニホンザルの食性は植物食です。主に木の葉を食べます。他のサルを捕獲して食べるようなことはしません。植物食だけをするならば長くて太い犬歯は必要ありません。食性だけで説明がつきません。群れの構造との関係を見ると,何らかのヒントが生まれてきます。前にも記載しておきましたが,ワン・メールユニット(単雄複雌群)やマルチ・メールユニット(複雄複雌群)ではオスの犬歯は強大化し,ペア社会(家族群)ではオスとメスの犬歯の大きさの差はなくなります。ワン・メールユニットやマルチ・メールユニットのオスは捕食者への攻撃もありますが,それよりも群れ内のサルへの威嚇行動や示威行動(ディスプレイ)が必要になります。自分を群れの中で誇示する必要があるからです。精神的な威圧感を相手に与えるためには視覚に訴えるのが一番です。長くて強大な犬歯はその役割を十分果たしていると思います。

(京都大学霊長類研究所の御厚意による)
(京都大学霊長類研究所の御厚意による

 上図の左はオス、右はメスの頬側からの写真です。C-P3 complexを示したものです。上下顎の犬歯と下顎第3小臼歯以外の歯にはほとんど性差がありません。性差があるのはC-P3 complexの歯だけです。犬歯はオスの方が3倍ほどメスよりも大きいのが分かります。一目見ただけでオスとメスがわかる所以です。

(京都大学霊長類研究所の御厚意による)
(京都大学霊長類研究所の御厚意による

 上図はコロブスモンキーの歯です。左はオス、右はメスの頬側からの写真です。ニホンザルと同じように上下顎の犬歯と下顎第3小臼歯以外の歯にはほとんど性差がありません。性差があるのはC-P3 complexの歯だけです。コロブスモンキーでは下顎切歯が上顎切歯に対し反対咬合になっています。