―歯科人類学のススメ―

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「親知らず」の萌出についての話

 第3大臼歯「親知らず」は歯の中で最も発生が遅く,しかも食生活など環境の変化に最も影響されやすい歯である。この歯の歯冠が形成される時期は 9〜10歳頃,口腔内へ萌出する時期は18〜24歳頃である。一般に中切歯から第2大臼歯までの歯は女性の方が男性よりも萌出時期が早いが,第3大臼歯は男性の方が女性よりも早い。第二次性徴の開始時期は女性の方が早く,急激な身長の伸びがみられる思春期発育促進現象は2年ほど早く8歳過ぎから始まってくる。そのために中切歯から第2大臼歯までの歯は女性の方が早く生えてくると思われる。一方,男性は第二次性徴の影響を受けやすい時期に第3大臼歯の形成時期にあたるため,その効果を強く受け,女性よりも萌出が早くなると考えられる。

第三大臼歯の萌出時期

 図は男性と女性について第3大臼歯の歯冠の一部が口腔内に少しでも出現した時期を示したものである。年齢が18〜24歳頃になると男性,女性とも第3大臼歯は口腔内へ生えてくる。一般に中切歯から第2大臼歯までの歯は6〜12歳ころに生えてくるが,第3大臼歯は第2大臼歯の萌出よりも6年以上遅れて生えてくる。萌出率が100%に達しない理由は,先天性欠如により歯胚が顎内にない場合や歯胚があってもこの歯の周囲の環境によって萌出しにくい場合があるためである。また中切歯から第2大臼歯までは女性の方が男性よりも萌出してくる時期が早いが,第3大臼歯は男性の方が女性よりも早くなっている。歯科矯正をして歯並びがきれいになった人でも年齢が18〜24歳頃になると第3大臼歯が萌出し始めるため,歯並びがまた乱れることがある。歯並びの矯正治療をしている人は第3大臼歯の萌出状態を歯科医にチェックしてもらう必要がある。

第3大臼歯の年齢別萌出頻度(山田らより)
第3大臼歯の年齢別萌出頻度(山田らより)

日本における第三大臼歯の萌出難生

 歯は一般に口腔内に対して垂直方向に生えてくる。しかし親知らずが萌出する場合,萌出方向が水平あるいは前方に傾いているために前方の第2大臼歯にあたって萌出が困難なことがある。このような場合,奥歯が痛くて噛むことができない経験をした人が多いと思う。これは智歯周囲炎という病気で,第3大臼歯が上手く生えてこないことが原因で起こる。第3大臼歯の歯槽骨内での萌出方向が水平位(水平埋伏智歯)か,第2大臼歯の遠心面歯頚部に第3大臼歯の近心の角があたって萌出が難しくなっている場合にその周囲の歯周組織が炎症を起こしたもので,正常に咬合面まで完全に萌出することは困難になる。

口腔内のX線パントモグラフ
写真. 口腔内のX線パントモグラフ

 図は第3大臼歯の萌出が困難な人の割合がどの程度あるかを現代人について出生した年代によりX線写真で調べた結果である。調べたのは1930年代から1980年代までの間で,対象者の生れた年を10年ごとにまとめて年代別にしたものである。萌出難生(水平に埋伏しているか傾いて萌出している場合)の頻度をみると男性・女性とも1930年代に生まれた人は20%弱を示し,その後は時代が現代に近づくにつれ徐々に増加している傾向にある。1980年代生れの人の頻度はほぼ70%に及んでいる。すなわち現代では10人中7人は下顎智歯の萌出が難生になっている。歴史を遡ってみると,縄文時代から江戸時代までの頻度では10%前後を推移し,あまり急激に増加することはないことから,現在に至って急速に萌出困難な人が増えてきたことが考えられる。この結果は,1930年頃から近代化の影響が生活習慣にも現れ,それに伴う食生活の変化が歯や顎骨に影響したことによると推測される。歯胚の位置に変化があるのか,歯胚の萌出方向に変化があるのかまだ明らかでない。現代ではほぼ7割の人が萌出難生で,智歯周囲炎を起こしやすく,そのために歯科医のお世話になると言っても過言ではない。

男女性の下顎M3萌出難生
下顎第3大臼歯の萌出難生の頻度(男女合計)