―歯科人類学のススメ―

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歯に残された痕跡

 エナメル質減形成

 歯はいったん硬組織(エナメル質など)が形成されると,咬耗したり,むし歯になったり,外傷を受けたりしない限りその形態や大きさは変化することはない。形成される過程も歯冠の切縁,尖頭または咬頭頂から歯根の方向に少しずつ形成されていく。しかしその形成過程で何らかの病変が人体に生じ,形成中のエナメル質に代謝障害が起きればエナメル質を構成するミネラル分の組成や量に乱れが生じ,その部分がエナメル質の形成不全に陥る。いわゆるエナメル質減形成(Enamel hypoplasia)と呼ばれる現象である。形成時期は歯によって違うが,乳歯の歯胚では一般に歯冠のエナメル質は胎生4ヶ月から6ヶ月ごろ始まり,生後1ヶ月から11ヶ月で歯冠エナメル質は完成してくる。中切歯から第2大臼歯までの永久歯では出生時から2歳6ヶ月ごろに形成が始まり,2歳半から7・8歳で歯冠エナメル質は完成してくる。とくに永久歯ではこれらの時期に代謝異常が起きれば,エナメル質の形成不全は歯の成長線に沿って歯冠を取り囲むリング状の陥凹した溝として形成されてくる。どの歯のどのあたり,すなわち歯冠の切縁や咬頭頂から何ミリメートル歯根よりにエナメル質減形成の条紋が見られるかによって,危機的な栄養状態が起こった時期が出生後いつなのか,おおよその年齢を推定することができる。一般に永久歯では小・大臼歯よりも切歯などの前歯に出現頻度が高い。古人骨では2歳から3歳に相当するところにエナメル質減形成が出現するピークがみられることが多い。現代人でも同様に前歯に多くみられる。おそらく離乳の時期に多く出現していることから,この時期に何らかの代謝障害があったと予想される。まれに犬歯にも発生している場合があり,3歳頃に何らかの栄養障害が体に生じていたと考えられる。

 エナメル質減形成の発現頻度は縄文時代で48%,古墳時代は36%,室町時代は33%,近代では40%発現するという(山本美代子;平田和明)。現代人でも南太平洋ポリネシアのクック諸島では青年の16%にエナメル質減形成が見られる。もちろん、チンパンジーやゴリラにも現れる。また、初期人類であるAustralopithecus afarensisにも現れている。出現する歯も中切歯から第2大臼歯まであり,中には第3大臼歯にもみられる場合がある。発生頻度からみると幼児期にかなり栄養状態が悪く,発育障害があると推測される。我々の住む最近の日本ではこの現象を滅多にみることはない。

チンパンジーの上顎犬歯に生じたエナメル質減形成
チンパンジーの上顎犬歯に生じたエナメル質減形成


ポリネシア人の臼歯にみられるエナメル質減形成