―歯科人類学のススメ―

TEL:(052) 794-1172

現代人の顎骨

 現代人の顔

 人にも動物実験と同じような傾向が現れるであろうか。竹内修二は過去50年間にわたる大学生男子の頭部,顔面部の大きさの変化を経年的に分析したところ,頭幅と頬骨幅とは正の相関があるが,頭幅と下顎角幅との間には有意な相関が見られないことから,上顔部の幅は脳頭蓋の幅の増大に伴って増加するが,頭部の増大が必ずしも下顔部の増大を引き起こすことはないという。すなわち頭は幅が広いが,顔はうりざね顔という人が増えている。年代差60年間の変化について調べた中原 泉は上下顎歯列弓幅が上顎は平均して2.7mm増大しているが,下顎は0.8mmしか増大がないことから,上下顎で増大率に違いがあるという。

 頭部X線規格写真を昭和30年代と比較してみると,上顎では30年間ほとんど変化ないが,下顎ではわずかに骨が増加し,下顎角は拡大する傾向を示している。顎のエラが張っている人は少なくなり,顔を横から見ると顎の先端から斜め上方に直線的に伸びている人が多い。水嶋宗一郎は江戸時代の徳川将軍家にみられる貴族的な形質と下顎骨形態の関係を調べ,咀嚼量の減少と貴族形質の発現の間に直接的な関連性はないと報告している。


(鈴木 尚より)

 上図は徳川将軍家の歴代将軍の頭蓋骨である。面長で、顔は細く、とくに下顎角は広がっている。

 顎関節の形態では縄文から現代までの顎関節について頭部X線規格写真を用いて分析してみると、関節突起に時代的変化があらわれ,関節突起は時代的に弱小化の傾向があるが、脳頭蓋にある下顎窩には一定の傾向はみられない。関節突起と下顎窩の時代的推移の仕方は必ずしも同じではない。現代人の顎関節の年齢変化はおもに関節突起の形態変化によるところが大きい。関節突起は現代に近づくにつれ幅が小さく先鋭化して細長くなってくる。最近の若年者でみると、関節突起はさらに細長く先鋭化がみられ、この傾向は女性で強くなっている。女性は男性よりも関節突起が細長く幅は小さい。下顎窩は幅、深さとも男性が女性より大きい。現代人の顎関節形態の年齢変化はおもに下顎頭の形態変化によるところが大きい。若年者ほど下顎窩に対して下顎頭が細く、下顎頭の頂部と下顎窩との間の関節空隙が狭い傾向にある。
 子どもの食べ物と歯列弓について調査した町田幸雄は小児期においてほとんど同じ物を食べているにもかかわらず,正常歯列になったり叢生歯列や空隙歯列になったりする子どもがいることから,食品の硬軟と歯並びの悪さとは関係ないという。何回も噛んだからといって,顎をよく使ったことにはならない。

 歯と顎骨にみられる適応形態

 霊長類を含めて哺乳類レベルで下顎骨の特徴を比較すると2つの特徴が現れる。一つは顎関節と咬合面までの投影高あるいは下顎枝の高さに関係したもの、もう一つは顎関節と歯との投影距離である。テコの原理で考えると、草食動物のように下顎枝が高いほど下顎骨を左右に動かして臼磨運動をしやすくできる。投影高が高いか下顎枝が垂直に高く立っていると上下の歯が同時に咬み合えるようになる。もう一つは顎関節と歯との投影距離で、顎関節の真下に歯が近づくほど、テコの原理で歯に働く咀嚼力は増大する。投影高が大きくなり、投影距離が小さくなると臼歯の咀嚼力は強くなることは草食性動物の適応変化だといえよう。草食性の有蹄類と植物食性の霊長類はこのような機能的な性質が同じであっても咀嚼器官を含めた頭蓋骨の解決の仕方が両者で異なっている。霊長類では顎・顔面は脳頭蓋を中心に下方へ回りこみ、しだいに脳頭蓋の下方に位置するようになる(下回転頭蓋)。その分、顎関節と咬合面の投影高は大きくなり、顎関節と臼歯までの投影距離は小さくなる。咀嚼筋については咬筋と側頭筋前部、内側翼突筋がとくによく発達している。
 人についてこの関係をみると、現代人では食物の軟食化により強い咀嚼力は必要ではない。したがって下顎隅角部に付着する咬筋の発達は弱まる。その結果、下顎角は上方へ移動するとともに、下顎角も開大し、横からみると顎のラインは直線に近い感じである。咬合面から顎関節部への投影高は小さくなるだけでなく、下顎枝も短くなり、下顎骨自体が弱々しく、華奢になる。しかし、下顎骨の大きさは以前とあまり変わりない。大臼歯(第1大臼歯)からの投影距離は変わらないとすると、当然であるが、咀嚼力も減少する。

下顎骨形態に及ぼす環境効果

 上図は下顎骨を横から見た模式図である。三角形の長辺がしめす顎関節とオトガイ部までの下顎骨長は変化せずに下顎角部が上方へ変位したために、咬筋による咀嚼力は小さくなった。すなわち頭は幅が広いが,顔はうりざね顔という人が現代人には増えている。