―歯科人類学のススメ―

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「親知らず」欠如の時代変化

 わが国にみられる先史時代から近世までの変化

 図は第3大臼歯の総歯数に対する欠如歯数の頻度をあらわしたものである。上顎と下顎は別々にしてある。上顎については10人いれば期待値は20本で,そのうち6本欠如していれば30%の欠如率を示すことになる。

 縄文時代人の資料は西日本と東日本の貝塚遺跡などから集められたもので,縄文時代の後・晩期の人骨資料である。この時代の欠如頻度は全国とも一様にかなり低率で欠如率は5%程度である。しかし北九州の金隈遺跡,山口県の土井ヶ浜遺跡から発掘された渡来系弥生時代の人骨ではかなり欠如頻度が高く,20%台のレベルまで上昇している。弥生時代以降,西日本では時代ごとに欠如率が少しずつ増加しているが,縄文時代から弥生時代にみられるような極端な変化はみられない。

 一方、東日本の古墳時代人は西日本の同時代人ほど高い欠如率を示していない。むしろ縄文時代と同じくらいである。弥生時代以降にみられる西日本と東日本の第3大臼歯欠如率の差は鎌倉時代から室町時代の頃に少なくなり,30%前後の頻度で落ちついてくる。近世の江戸時代では33%の欠如を示している。

 第3大臼歯の欠如率でみるかぎり,西日本では縄文時代から弥生時代への急激な変化は第3大臼歯の高欠如率を示す渡来系集団によるものと推測される。金関丈夫が提唱するように,この渡来系の集団が北九州や山口県で低欠如率の縄文人集団を駆逐した結果と考えられよう。弥生時代以降は渡来系を主体とした集団による小進化が西日本で少しずつ進んでいったと思われる。

 一方,東日本にみられる縄文時代から中世までの欠如率の漸進的な増加は縄文時代人と渡来系弥生人の間に混血が進行していった結果ではなかろうか。おそらく江戸時代のころまでには第3大臼歯の欠如は西日本と東日本の間で差がなくなってきたであろう。第3大臼歯の欠如は日本人の成立について重要な鍵を握っているといっても過言ではない。

第3大臼歯欠如率の時代変化

 近代から現代までの変化
明治・大正時代から昭和時代の第2次世界大戦まで(昭和時代@)の変化をみると,上下顎とも欠如率は増大し,昭和時代@(1930年代)でピークになっている。いずれも上顎の方が下顎よりも頻度は高い。昭和時代A(1950年代)、B(1970年代)、C(1980年代)から平成時代まではむしろ減少している。平成時代では上顎が20.3%,下顎が12.6%である。明治・大正時代から昭和時代@で欠如率が高くなっているのはこの時代に食生活が低下したこと,戦争で食糧事情が悪化したことによると思われる。それに対し,昭和時代A以降に欠如率が減少していることは戦後の栄養状態の改善などによる結果と思われる。

 第3大臼歯を少なくとも1歯以上欠如している人の頻度で比較してみると、1900年初頭の欠如率は60%前後で江戸時代とほぼ同じであるが、その後に欠如率は急速に減少し、現代人では30%程度まで低下している。すなわち100人の中で30人ほどが第3大臼歯を1本以上欠如していることになる。換言すれば,第3大臼歯が欠如する人はこの100年間でしだいに少なくなっている。

 過去100年間にみられる変化

 明治時代の欠如率は江戸時代と同じかやや低い程度である。しかし図から明らかなようにこの100年の間に欠如率は急速に減少し,現代人では1歯以上欠如している人の頻度は30%程度まで低下している。すなわち第3大臼歯が発生する人はこの100年間で多くなってきたことをあらわしている。歯の萌出時期についても戦前に比べて現在は早くなっていることは前述した。人類の歯が退化器官に属することは古生物学ならびに人類学上の明らかな事実であるが,どうして進化の流れと逆行するような現象がこの100年あまりの間におきているのであろうか。

 他の身体形質でこの100年間に特徴的に変化しているのは身長の増加と成長の加速化である。身長では平均10cmほどの増加がみられるし,女子の初潮年齢では14.7歳から12.4歳まで早くなっている。19世紀の終りころから始まった身体の長身化は日本ばかりでなく,ヨーロッパ諸国や北アメリカにもみられる全世界的な現象であり,どこでも成長の加速化を伴っているといわれている。

 身長の増大がどうして起こってきたかいろいろな面から議論されている。日本ではこの100年の間,日本人の遺伝子を変えるほど外部からの遺伝子の流入はなかったことから,その大部分は環境要因によると考えられる。最も考えられることは,栄養が質・量とも豊かになったこと,椅子生活の普及,成長期の労働の軽減,スポーツの普及などが上げられる。また遺伝性による影響も無視できないと通婚圏の拡大によるヘテロシス(雑種強勢)の効果を上げている学者もいる(池田次郎)