歯の大きさの時代変化
現代人では第1大臼歯が最も大きく,第2・第3大臼歯へ向かうにつれしだいに大きさは縮小しているが,200万年前ころの猿人類(アウストラロピテクス・ロブストス)では第3大臼歯が最も大きく,第1大臼歯が最も小さい歯であった。現代人のような大きさの順になったのは上顎では今から10万年〜4万年前ころの旧人類(ネアンデルタール人)の時代であり,下顎ではそれ以降の新人類の時代になってからである。
歯の大きさの時代変化
日本列島に居住してきた人たちの各時代における歯の大きさをTATS値で比較してみると,縄文人はどの地域でもおおよそ110o,弥生人(北九州)は117o,古墳人(西日本)は117o,鎌倉人は113o,室町人は112mm、江戸人は115o,現代人は116oくらいの大きさである。縄文人と弥生人の間には7mm前後のかなり大きな違いがあることが分かる。鎌倉人は若干小さく、さらに室町時代人は最も小さくなっている。この時代から徐々に歯は大きくなり,現代では116mmあるいはそれ以上になっている。なぜこのような変化が起きているのか分かっていない。ただ、縄文人の大半が関東から東北地方あたりに暮らしていたことと彼らの歯のサイズが小さかったこと、弥生人は九州から本州を北へ移動していったことを考えると、関東地方で両者の混血があり、それにより歯の大きさが縄文人と弥生人の中間になったとも考えられる。詳しい研究が待たれる。
縄文時代と弥生時代以降の変化
歯の大きさからも縄文時代と弥生時代の間で歯が急激に大きく変化していることが分かる。歯はもともと安定した形質を有し,遺伝の影響に強く支配されるため、環境があまり変わることがなければ環境に影響されないという特徴をもっている。そのような観点から考えると,渡来系弥生人の歯の大型化は大型の歯の遺伝子をもつ集団が朝鮮半島を経由して九州へ渡り,その後日本列島内へ広がっていったのではないかと考えられる。いわゆる渡来系弥生人の存在である。縄文時代の生活は狩猟・採集生活が主体であったのが,弥生時代にはいると大陸から渡来系弥生人により稲作農耕文化が伝わり、今までの生活が劇的に変化していった。一部の弥生時代人(西北九州、九州南部、種子島地域)の歯の大きさが縄文人並の大きさであることは、こうした地域の弥生時代の人はまだ身体的にも文化的にも縄文人の影響を強く残しており,渡来系弥生人による遺伝的影響が少なかったためと考えられる。
古墳時代人になっても、西日本と東日本では歯の大きさに違いがあり、東日本の住民で小さくなっている。おそらくこの時代でもまだ渡来系住民の影響が東日本まで拡散していなかったと考えられる。東日本の地域ではまだ縄文人の影響が色濃く残っていたのではないだろうか。
鎌倉時代とそれに続く室町時代の人の歯は弥生時代以降現代までの間で最も小さくなっている。しかし縄文時代ほど歯は小さくない。前述したように、おそらくこの時代の歯の小型化は東北地方の縄文人と渡来系弥生人の影響が強い西日本古墳時代人との混血によるためと思われる。とくに縄文時代人の影響を強く受けているため歯は小さくなったのではなかろうか。江戸時代になると鎌倉・室町時代の歯の大きさは少しずつ大きくなっている。渡来系弥生時代人と縄文時代に由来する人々との混血の程度で、歯の大きさは強く影響されていると思われる。
明治時代から現代へ向かうにつれ急激な歯のサイズの増加現象が見られる。すなわち,歯の大型化である。とくに現代人では1941年から1949年生まれの人と1956年から1967年生まれの人のデータの間には、短期間にもかかわらず、はっきりした増加がみられ、第二次世界大戦終了後に生まれた人たちで歯が大きくなっている。しかもその値は弥生時代以降最大を示している。前述したように,歯は遺伝の影響に強く支配されるため環境にあまり影響されないという特徴をもっているが,明治以来この方遺伝子頻度を変えるような外部から日本列島内への人の流入は記録されていない。この大型化の現象は生活形態の改善や食生活の向上に伴う高タンパク質や高脂質を中心とした高エネルギー食物の摂取によるものと考えられる。