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縄文時代人と弥生時代人

 縄文時代人

 更新世の氷河期が終り,海面が上昇して日本がアジア大陸から切り離されて島国となった約1万年前から,BC300年ごろに大陸の稲作と金属器の文化が伝えられて弥生時代が始まるまでの約8000年間を縄文時代という。人々は狩猟,採集や漁撈に依存する生計を営み,独特な縄文土器をつくりあげた。彼らの生活は豊富な天然資源に恵まれ,定住性の強い社会を形成していた。

 縄文時代の人口は9割以上が中部地方以東に集中し,西日本の人口密度はなぜか極めて希薄であった。彼らの頭の形は当時としては大頭であり,現代人の頭のようにバスケットボールに近い丸い形とはかなり違い,ラグビーボールのような形をしている。顔面は全体的に高さが低い割に横幅が広い。頬骨が横に張り出し,顎のエラの発達もよく,顔全体は四角くごつい感じをしている。眉間や眉の部分が突出し,鼻の付け根は引っ込んでいるが,鼻梁(鼻すじ)は高い。眼窩の形は直線的で丈の低い四角形に近い形をしている。

 縄文人の祖先となる人々は2万年前,今のインドネシアあたりに大陸として存在していたスンダ大陸と呼ぶ陸塊から,アジア大陸の東海岸沿いを通って沖縄の南西諸島へ入ってきたといわれている。こうして日本列島へやってきた人々は,長い年月の間に日本列島の環境に適応して進化して縄文人になっていったと考えられる。

 下図は縄文時代人の歯を示す。第3大臼歯まで十分萌出し、咬合をしているのが分かる。

縄文時代人の歯

 縄文人とアイヌの類似性

 小金井良精は上腕骨,大腿骨,脛骨の大きさから石器時代人(縄文人),アイヌ,現代日本人を比較している。それによるとアイヌも石器時代人ほど鮮明でないが,それと共通する特徴をもっていることに注目し,石器時代人骨とアイヌ人骨との類似性が強いことを主張している。また扁平尺骨,巨大腓骨,鉗子状咬合にもアイヌと石器時代人に共通した特徴があるという。

 縄文人がアイヌに類似し,現代日本人がアジア大陸のモンゴロイドに類似するという関係は頭蓋計測値の比較ばかりでなく,非計測的な頭蓋小変異の出現率や歯の計測値の研究でも認められる。このことから,日本の縄文人は旧石器時代の終りに大陸から分離した弧状列島で大陸文化の発展から隔離され,旧石器時代的な採集狩猟生活を長く送りながら,更新世人類の古型の形質を後々まで保持してきた集団であったと考えられる。

 弥生時代人

 大陸では早くから農耕牧畜に基盤をおく新石器文化が発達し、日本の縄文時代の晩期にはすでに大陸では青銅器時代を経て鉄器時代にまで到達していた。この高度に発達した文化がBC3世紀ころ西日本に伝えられると,縄文文化は日本列島の中で稲作農耕中心の弥生文化へ転換していく。生活の基盤が狩猟採集から農耕に変化していったのに伴い,人々の身体にも大きな変化があらわれてきた。

 朝鮮海峡を挟んで大陸と向かい合った地域から出土した弥生人骨は縄文人に比べて、一見してのっぺりした面長の特徴を示している。眼窩の上縁は丸みを帯び,鼻根部は扁平性が強くなっている。身長も古代人としてはかなり高く,男性で平均163cm前後ある。全身的には胴長短足傾向が強い。

 弥生人がどのように形成されてきたかは人類学上大きな問題となっていた。関東地方南部の洞窟遺跡で発見された弥生時代人骨を調べた鈴木尚は、その中に縄文人から古墳人へと移り変わる移行形態があることを見出し,時代が進むにつれ縄文人の体格が順次変って弥生人が形成されたと考えている(移行説)。

 一方,西日本弥生文化発祥の地である九州北部と山口県地方では大量の弥生人骨が発見され,それを調べた金関丈夫は出土した人骨が縄文人とは違った特徴をもつことから,この地域の人骨は渡来系の可能性が強いと述べている(渡来説)。また,背振山系によって北部九州と隔てられた西北九州地域では海岸にある弥生時代遺跡から低身長・低顔型の人骨が発掘され,内藤芳篤らはこれを縄文人の継続したものと考えている。このように九州地方では稲作の可能な平野部に渡来系の高顔型弥生人が広がり,海岸部の漁撈民の間に縄文時代以来の低顔型が残るという,一種のモザイク様の分布をしていた。

 下図の左側は縄文時代人、右側は渡来系弥生人

左側は縄文時代人、右側は渡来系弥生人

 歯にみられる縄文人と弥生人の違い

 口元が引き締まっている縄文人の歯並びの形はU字形をなし,上下顎の歯がしっかりと噛み合い,整然としている。上下顎の噛み合わせは毛抜きのように上下の前歯の切端がぴったり合う鉗子状咬合がほとんどである。弥生人の歯並びは放物線形を示し,弥生時代から現代までの人のように下顎の歯を上顎の歯が覆うような鋏状咬合が多い。縄文人は歯の擦り減りかたが激しいことや,顎のエラが張り出していることから現代人に比べてはるかにものを噛むことが多かったとみられる。

 むし歯も,とくに北海道で出土した縄文人骨はほとんどむし歯がないが,本州の縄文人骨は比較的むし歯が多い。むし歯のできる場所も歯頚部近くに集中し、歯頚部カリエスから根面カリエスになっている場合が多い。一方,歯の咬耗は激しく,中年以降になるとほとんど歯根だけしか残っていない状態である。食べ物による歯の擦り減りがあまりにも急激なため,歯髄腔が露出して,その穴から細菌が進入し,歯槽骨がごっそりえぐりとられたように溶けてしまった例も散見される。

 歯の大きさからみると縄文人は歯が小さく,弥生人は歯が大きい。上下顎の歯の大きさをあらわすTATS値(上下顎の中切歯から第2大臼歯までの歯冠近遠心径の平均値を合した値:全体的な歯の大きさをあらわす尺度)で比べてみると,縄文人は約110mm,弥生人は約117mmで7mmほど縄文人の方が小さい。現代日本人が116mm,オーストラリア先住民が120mmぐらいの歯の大きさであることから,両者の違いがいかに大きいか予想できる。
 アメリカの人類学者ターナーは歯冠や歯根にみられる形態的特徴から、縄文人は単純な構造のスンダ型歯列の特徴を示し,弥生人は複雑な構造をあらわす中国型歯列(シノドント)をしているという。現代でもアイヌや沖縄の人々は現代日本人と著しく混血が進んでいるので,歯もその影響を受けかなり現代日本人的になっているが,それでもまだ縄文人の特徴を示し,スンダ型歯形質のパターンを残している。

 下図は縄文時代人の下顎大臼歯を示す。

縄文時代人の下顎大臼歯