―歯科人類学のススメ―

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シャベル型切歯(Shovel-shaped incisor or Shoveling)

 この言葉を最初に使った学者は分かっていません。しかし19世紀後半のころより幾人かの学者は上顎切歯の舌側面にみられる窪みに注目していました。その中でミュールライターは1870年に書かれた本の中に“Schaufel“(シャベルの意)という言葉を載せています。アメリカ・インディアンの上顎切歯舌側面がシャベルのように陥凹していることから、アメリカの解剖学者ヘリチカはこの歯について“Shovel-shaped“という言葉を最初に記載しています。
 彼によれば、ヒトの集団をシャベル型切歯の出現頻度で比較すると、よく発達したシャベル型切歯は中国人、日本人、モンゴル人、イヌイット、アメリカ・インディアンなどのアジア系集団に高率に現れてきますが、アメリカに在住するアフリカ系集団やヨーロッパ系の集団にはほとんど出現しないこと、ネアンデルタール人の切歯にはシャベル型切歯とよく発達した舌側結節がみられること、シャベル型切歯は切歯にかかる力に対して強い抵抗力を発揮する働きがあること、この特徴は上顎切歯のみならず、下顎切歯、犬歯や乳切歯にも観察されること、ヒトだけでなく他の霊長類や哺乳類にも認められることを報告しています。
 北京原人の歯を調査したドイツの人類学者のワイデンライヒ(1937)は、シャベル型切歯が現代人よりも北京原人によく発達して出現すること、また現代アジア系集団もこの形質がよく似ていることから北京原人はアジア系集団の直接の祖先であると述べています。その後、多くの人類学者によって種々なる歯の形質のうちシャベル型切歯はヒトの集団を分類する上で最も重要視すべき形質の一つとされてきました。遺伝的にはシャベル型切歯は連続的に変化するため多型遺伝子が作用していると考えられています。
 東京大学の埴原和郎氏(1966)は乳歯の研究から”Mongoloid dental complex”、”Caucasoid dental complex”という概念を紹介しています。この考え方はある特定の集団は1つの歯形質だけで代表されるだけではなく、いくつかの歯形質が複合的に関係しあって現れるということです。”Mongoloid dental complex”「類モーコ人歯形質群」には乳歯ではシャベル型切歯と第6咬頭、第7咬頭、屈曲隆線、プロトスタイリッドの合計5つが含まれますが、永久歯ではこれらの形質から第7咬頭とプロトスタイリッドが除かれます。
 鈴木・酒井氏(1966)は上顎切歯に現れるシャベル型切歯の出現率により世界の人々を4つのグループに大別しています。最も頻度が高い集団はアメリカ・インディアン、エスキモー、モンゴル人、モンゴロイドすなわち東アジアに先祖をもつ集団、2番目に高い集団はハワイ先住民、日本人の大半、大部分の中国人の集団、3番目のグループはインドネシア人、ポリネシア人、ミクロネシア人、サハリン・アイヌの集団、4番目の最も頻度の低いグループはアメリカにいるアフリカ系集団やヨーロッパ系集団、バンツー、フィジー人、フィンランド人です。
 シャベル型切歯についてさらに詳しく分析してみるとさらに次のことが分かってきました。よく発達したシャベル型切歯は歯冠近遠心径と関係し歯が大きいとシャベル型もよく発達すること、永久歯と乳歯で出現率が違い永久歯の方が頻度は高いこと、乳歯に出現するシャベル型は永久歯でいう舌側結節あるいは基底結節の発達したものに類似していること、唇側面の辺縁隆線が強く発達する(double shovel-shaped incisor:ダブルシャベル型)と舌側面もシャベル型を示すこと、シャベル型はオーバージェットに関係し屋根状咬合とシャベル型は関係していること、シャベル型とカラベリー結節の間には有意な関係がないことなどです。  
 またヒトの集団移動についてリーゼンフィールド氏(1956)は、シャベル型切歯と上顎側切歯の退化形について太平洋のオセアニアでは西から東へ徐々に出現頻度が低くなるクライン(勾配)が見られ、東アジアに先祖をもつ集団がインドネシアからミクロネシアを経由してポリネシアに向かって移動したと述べています。この仮説はヘイエルダールによるポリネシア人のアメリカ大陸起源説と対立するものです。  
 レマネ氏(1960)は、この形質はヒト科だけではなくテナガザル科にもみられることを記しています。アドルフ氏(1927)はよく発達した舌側結節をもつ切歯はシャベル型切歯“Shovel-shaped“ではなく、結節型切歯“tubercle-shaped“と呼ぶべきだとして、北京原人?モンゴロイド仮説を否定していますが、ワイデンライヒ氏(1937)やロビンソン氏(1956)は舌側結節あるいは基底結節の発達如何にかかわらず舌側面が陥凹しているものをシャベル型と考えています。  
 溝口氏(1985)はシャベル型切歯の機能的役割を前歯の構造を機械的に強めるために形成されたと考えています。